昔と比べて豊かになったかどうか考える

哲学

例えば子供の着ている服を見たとき、30年前と比べて明らかにブランド物が増えている。ここで言うブランド物とは、アディダスやアンブロなどのスポーツ系のブランド物のことを指している。下着ですらブランド物だ。30年前の小学生は、みんな白ブリーフだったように思う。よくてグンゼ製である。

服などは、基本的な機能を満足し、色形などもあまり破綻がなければ十分なはずである。特に子供服などは、破れたり、小さくなったりして寿命が短い。もちろん何着かはお気に入りの大事な服があっても良いとは思うが。

しかし昔と比べて、こういった生活の基本的な部分にすら、無駄と思えるお金をかけざるを得なくなっていると感じる。なぜなら、平均値から外れることによって、いじめ問題に繋がりかねないからだ。すべての問題の根源はそこにある。いわゆる子を持つ親にとっての最悪のホラーストーリーである。

マーケティングにおけるよくあるホラーストーリー、「ほら、お風呂にカビ菌が!」などであれば、「きちんと毎日掃除をして、換気を万全にすればいいし、それでもカビが生えてしまうのはしょうがない。最終的にはリフォームすれば良い」などと理性的に対応することもできる。 だが、子どもの問題はそうはいかない。この点について足元を見られてお金を出してしまっているということはわかってはいるのだが、いかに理性的に考えたとしても対抗しがたいのだ。

しかし、これは甚だ本末転倒と言わざるを得ない。明日の危機を回避するための保険金が膨らんでしまって、体験や経験にお金をかけることが困難になってしまうのであれば、それを豊かさというのだろうか。 本当はそこにかけるお金は最小限にして、木材や工具を買って工作をするとか、紙や絵の具を買って絵を書くとか、そういったことにお金をかけたいのだ。

近い将来の安全を買って、遠い将来の発展を買えなくなってきているのではないか。私としては、近い将来にリスクを払って、遠い将来のリターンを期待するような行動をしていきたい。それは「夢みること」の一部であり、次への行動力の源であり、心を豊かにすることではないかと、私は思う。

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